慶應義塾大学で「BF/UD入門当事者の語りから学ぶユニバーサルデザイ


慶應義塾大学で「BF/UD入門当事者の語りから学ぶユニバーサルデザイン」の授業をしてきました。
この授業では、毎週様々な立場の多様な講師が登場する名物授業です。
担当教授は知覚心理学、障害心理学、支援技術が専門の中野泰志先生。
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy/
視覚障害や情報保障技術に関する研究では高い業績をお持ちで、
羽田空港国際線旅客ターミナルのUDなどでご一緒させていただきました。
日本酒が好きという共通の趣味(酒味?)もあります。



帰宅したら早速学生のレポートが届いていました。
印象的だったものをいくつか紹介します。


◆これまでの人生で「聴覚障害者」と初めて出会ったという方も何人か。
この授業の意義の大きさを感じます。

『聴覚に障害を持った方を、自分は今まで生きてきた中で初めて見たかもしれません。
今までずっと「聞こえる世界」で「聞こえる」親や友達と話し、笑いあってきました。』

『私は今まで聴覚障害への知識は全くなかったし、周りにいるとも思っていませんでした。
なぜなら見ても障害があると分からないからです。
でも、松森さんが聞こえる世界と聞こえない世界両方を経験した話しは
すごい迫力と現実味があった。』


◆情報のUDやテレビの字幕についての言及も。
『音声なしのCMを見たとき、別に画像だけでもまあ分かるじゃんと軽く思いましたが、
その後字幕をつけてみたときの、想像以上の得られる情報の多さに驚き、格差を実感できました。』

『以前なにげに字幕ボタンを押したら、
「ピチピチ」「ジュージュー」と擬態語、擬音語まで表現されていた。
最初は「こんなものまで文字で表してて笑っちゃうな、何の必要があるのコレ笑」と滑稽に思っていました。
しかし今日の講義で、無音のCMを見て
「こんなにも内容を理解することができないのか!!」と驚きました。
そこではじめて「あの擬音の字幕も、あるとないとでは大きく違ってくるのだな」と字幕の大切さに気付きました。
健常者では気づかない視点からの意見は説得力があります。』

『CMもそうだが、国会中継聴覚障害の人が理解するための配慮がないのはおかしいのではないかと思います。
日本人なのに邦画が楽しめないとか、ほかのことでも
海外でできていることが日本ではなぜ行われないのか。
今までの授業で何度も抱いてきた疑問です。
「建物や公的な物、教育や就労などだけでなく、楽しみのUDがとても大事」というのはその通りだと思いました。』


◆手話についての言及も。
『授業全体を通して、手話の大切さ、一つの言語として大切にしている松森さんの想いが感じ取られ
手話について学んでいきたいと思いました。』

アメリカに居住していたとき小学五年時に、手話を学ぶ機会があった。
指文字や手話の他、国歌を手話で表現したりもした。なぜ日本ではこのようなことが行われないのだろうか』


◆今年は留学生も多く、ことばのバリアに共感する学生も多くいました。
『質問したいことが多くあったのに、今までの授業でおかしな日本語で質問をしたため恥ずかしい思いをし
人前で質問をするのが怖くなってしまった。
今日の授業は、日本語がへたな自分にとって、共感できる部分が多かった。』


◆こんなのも。
『松森さんの考え方の前提に「楽しむ」ということがあって
どんな局面に対しても前向きに物事をとらえていらっしゃったのが印象的でした。
コミュニケーションを諦めるのではなく「楽しむ」という気持ちを大切にしたい。』

『日本では障害者だと「これはできない」と勝手に決めるける傾向があります。
しかし松森さんがおっしゃっていたように、聞こえない方からすれば
私たちは「手話ができないひと」であり「多くのものに頼って生きている」と考えられます。
「私たちの方ができることが多い」という考えは正しくありません。
対等の立場という事を念頭に社会のバリアを減らす工夫が必要です。』



ここまで理解してもらえるのは本当に嬉しい。
だって自分が楽しまないとみんなも楽しくないもんね!