早稲田大学での授業

いくつかの大学で講師をしておりますが
早稲田大学の授業「障害の理解と支援」でゲストスピーカーとして本年もお招きいただきました。
毎回多様な当事者がゲストスピーカーとなり
生の声を聞けるのが醍醐味な授業です。

3限目は、私にとって妹であり頼れる姉さんであり、
男児出産後は肝っ玉かぁち…いや素敵ママになった志磨村早紀ちゃんによる聴覚障害についての解説。

しかも生後四か月の男児を抱っこしての登壇。
ママも天晴れだが、四か月で早稲田大学デビュー果たす赤子もまた
立派に天を仰ぐスタイルで爆睡、天晴れ。
そのうえ手話通訳には森本さんも。

聴覚障害についての多様な聞こえ方、
コミュニケーション手段、心理について
ここまでわかりやすく話せる人は、彼女をおいてほかにはいないと思うのです。
彼女のおかげで、四時限目は私のほうから自由に様々な話しができました。
学生からのレビューシートはどれも
具体的で次につながるコメントも多くありました。


▶松森さんのお話を伺って、聞こえる世界の人たちが普通なのではないと思った。
普通の形は、人それぞれでいろんな形の普通があると感じた。
聴覚がなくなったことで、身体の可能性が広がったという言葉が印象的であった。
自分が考えていることは、相手も同じ考えではなく、まず相手の立場で考えてみる、そして、視野が広がり新しい世界が広がり、考え方も広がってくると思う。
その考え方がユニバーサルデザインにつながってくるのだと感じた。

ユニバーサルデザインという考え方に対して、共感を持ちました。
障がいを持つ人に対してだけでなく、健常者にとっても快適なデザインというものは社会全体で推進していくべきだと思います。
例えば、テレビCMに字幕をつけるというUDは健常者にとっても有難いものです。
テレビの音を事情があって出せない場合でも字幕があれば理解することができます。
松森さんは、各分野でUDを推進しました。私自身は学校分野に対するUDを期待したいです。
その一つにパラリンピックの種目スポーツを一緒にやったり手話を学校教育のカリキュラムに盛り込むことをアイディアとして、提案したいです。
現状のバリアフリーはハード面以上に人の考え方というソフト面が貧弱な気がしています。


学校教育への提案も
▶「聞こえる人たちがコミュニケーション手段を持たないため、バリアがあると考えることもできる」という記述が印象に残った。
一般的に義務教育の中で、私達が障がい者とのコミュニケーションについて本格的に学ぶことはない。
つまり手話などは一般人にとって
「特別で、何か事情でも無ければ身についていないのが当たり前」な技能ということになる。

初等教育の中での紹介、授業があるケースも見られるが、それらは、私達そして障がい者との対話を実現せしめるには、あまりにも軽いものである。
実現の難易は置いて、仮にこのようなコミュニケーションツールを、ごく基礎的なものだけでも、一般教育のカリキュラムの中に取り入れることができれば、障がい者支援の可能性は大きく広がるのではないかと思う。


志磨村さんの解説と私の話がつながるということ
▶松森さんのお話は本当に興味深く、すごく1時間半があっという間でした。

最初にお話しているところを見て、
表情や話の間の取り方、目線を大切にしていることが分かりました。
それと同時に、発し辛い音があるのかなとも感じました。
志磨村さんも仰っていたように、舌の位置で音を確認するために、どうしても発しにくいものがあるのだなと思いました。


早速拙著を読んでくださったという感想も
▶松森先生の『誰でも手話リンガル』を読んで、実際に手と顔の筋肉を動かしてみると、
手の動かすスピードや表情の違いで疑問や強調を表せたりと、
音声言語よりも自分の気持ちを素直に伝えやすいことに気が付きました。
簡単な手話ができるようになることで、聴覚障がいをもつ人とのコミュニケーションのハードルがぐっと下がることが分かりました。


ダイアログ・イン・サイレンスの紹介に関して
▶ダイアログ・イン・サイレンスに非常に興味を持ちました。

言葉を発さない、聴かない状態でどこまで意思疎通ができるか、また、コミュニケーションを取るために互いが歩み寄ることの必要性を体感してみたいです。チケットを取り参加してみようと思います。

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志磨村さんと私の共通点について
▶松森さんの話と志摩村さんの話を聞いて共通するところは、後ろ向きだった過去を乗り越え、前向きになっていたこと。
社会の環境が、自分は耳が聞こえないから、と変わらないもの、変わりにくいものに対して責任を押し付けるのではなく、変われる自分に目を向け、乗り越えようとしたところに両者の共通するところが見えた。


長く講師をやっていると、社会人となった彼らと思わぬ場で再会することがあります。

一緒にお仕事をする機会なんて、それこそ本当にうれしいものです。
早稲田大学で授業を受けた学生さんたちとも、いつかどこかでつながる機会が楽しみです。