魂を出し切った18分間、TEDxkumamoto2019

聞こえなくなったからこそ見出した対話について
魂を出し切った18分間、TEDxkumamoto2019。

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わたしの強みは聞こえないこと。
聞こえる世界と聞こえない世界両方を知る私だからこその世界観。
音声に頼らないコミュニケーションの自由さ。

聴覚を失うとは、会話の手段を失うとともに
「人とのつながり」も失うこと。
聞こえていた自分がいなくなり、残されたのは音を失った自分。
冷たい湖の底にひとりで沈むような孤独感。
それでも「つながりたかった私」と向き合い、怒り、悲しみ、傷つけ
対峙し、壮絶なまでに「文字にして書いてきた」歴史と今の私の原点。

今では、聞こえない世界を楽しんでいる私にも一度だけ、強く、強く心の底から
「聞こえたい」と思った経験…。

そして、ダイアログ・イン・サイレンスを通して
聞こえる人が、ことばを使わずに対話をするとはどんな変化や価値があるのか。

音を失いつつあるときは
「聞こえてさえいればだれとでも話ができる」そう思っていた私。
でもそれは対話の本質ではなくて。
それはつまりどういうことなのか
私にとっての「対話」とはなにか。
このトークを聞いた後、あなたは何をするのか。

 

8つのトピック、18分間、3097字。
音声、手話、身体の動きすべてに魂を込めて伝えました。
人生の中でここまで「魂を出し切る」ってなかなかないことです。

 

TEDxkumamoto2019への登壇打診があったのが6月。
3月に札幌東ロータリークラブでの講演を聞いてくださった
熊本ロータリークラブの方からの推薦でした。
札幌から熊本へとつながるご縁。

 

息子が中学生の時、英語学習のために
TEDのプレゼンテーション動画をよく見ており
その時に「いつか私もそこで話したいと思ってるんだよ!」と
言ったことを思い出しました。

 

TEDxは「しゃべりたいようにやらせろ」は一切認められないというルール。
スピーカーコーチがつき、コーチングを通して、
テーマや内容、トークを決めるプロセスがあります。
それが、これまでの講演とは違うところ。
しかも「これまで誰も見たことがない松森果林を」と求められるハードルも高い。
これは面白そうだ!と
チャレンジしたものの、私がもつ要素が多すぎてとっちらかり
テーマが決まらない。内容も決まらない。

7月にコーチングを開始し、
8月末にはTalk内容が決まっているというスケジュールなのに
決まらないまま10月突入。

その間に、「ダイアログ・イン・サイレンス2019」の研修と開催
「第二回当事者研究シンポジウム」と大きなイベントの企画運営登壇続き。

他の仕事も同時進行で、コーチングを重ねる日々。
TEDxの精神「価値あるアイデアを広める」に値するのは何だろうか。
テレビ電話で熊本と千葉を7時間つなぎっぱなしとか。
登壇三日前にやっと原稿内容ができてきて
熊本に行く直前に、ダイアログ・イン・サイレンスの仲間たちに
手話表現のアドバイスをもらい
「あと三日しかない!」ではなく
「あと三日もある!」と呪文のように唱え心の余白を生み出し
本番前夜まで原稿修正を繰り返す。
書いた原稿本数は約50本以上。

 

ここまでのプロセスも壮絶だったのですが
ここから「原稿を丸暗記!」という
到底不可能と思われる凄まじいミッションが。
飛行機でもトイレでも道端でも風呂でも繰り返し原稿を読んでいたのに
前日の通しリハでまるで頭に入っていないことが露呈。

ぐたぐだの漏れ漏れのぬけぬけ状態。
アラフォー脳の限界か。
もはやこれまで…と思われましたが
それから本番までの数時間
補聴器のスイッチをオフにし、静寂の世界でひたすら集中。

周りがどんなに騒いでいようと、大音響の音楽が流れていようと
キャプテンが怒り狂っていようと(え?)
私にあるのはひたすら静寂の世界。
なんてありがたいことでしょう。ビバ静寂!

 

本番直前のリハで、足元の赤い円の端から端までの歩幅と歩数とリズムを叩き込み
TEDらしく舞台を移動し、手話とのリズムを確認。

オープニングアクトでは、MCの女子高生二人のアイデア
会場中が静寂の世界を共有、目を合わせたり
「今の気持ち」や「期待度」、「幸せを感じるとき」などを
手や全身で伝えあい、会場全体の目と身体がほぐされた雰囲気を作ってくれました。

 

おかげで私も
自分を信じきり
魂を出し切るオンステージができました。
まぶしい光の中から見えてくる一人一人の顔を見ながら。
これまで重ねたコーチとの対話の時間を信じながら。
目の前で残り時間を刻むタイマーが
「00:00」ぴったりで終えたときの爽快感たるや。
最前列の息子もガッツポーズ。
拍手で舞う手のひらが、スタンディングオベーションとなっていった光景は
一生忘れないでしょう。

 

このトークを一緒に作り上げてきた
私のコーチ、ランランは、慈しみの気持ちが深い女性。
私よりもずっと若いけれど
「最後まで信じていこう」と決めたのを覚えています。
対話を重ねながら
お互いの思いや価値観を言葉にして紡ぐことで
違いを発見してワクワクしたり、共感したり
お互いのことばが響きあい、そこから生まれる思いを分かち合うことを
繰り返してきました。
それが自分を、そして相手を信頼することができる深いつながりとなったように感じます。
そんなランランと一緒に設定したゴール

Talkが終わった時どうなっていたらいいか》は
「聞き手に今日初めて会った人とでも、目を合わせて対話をしてみようと思ってもらう」こと。
ランランが私に伝えてくれた理由は一生の宝のような言葉です。
ランランありがとう。

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ゴールは何かというのを何度も何度も考えてみたの。
カリンはいつも笑顔でじっと目を合わせてくる。
そして息詰まってるときでも、面白いことがあったらケラケラ笑ってる。
そしてやっぱり、こっちを見てる。
そういうカリンと接しているとね、なんか人と会話することとか
コミュニケーションをとることに肩ひじはってた自分に気づく。
だんだんいい意味で心の力が抜けて、その代わり、表情や身体が動きだす。
それがまさに下に書いてある「カリンにとっての対話」そのもので、
それを聞いている人にも感じてほしいと思ったんだ。
そしてそれを会場にいる人同士も「対話してみよう」って思ってもらいたいなって。
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TEDxkumamoto2019は
自分のアイデアを伝えたり、広めるだけでなく
人を信じぬくことの尊さと、それこそがかけがえのない価値ある宝として
自分の中に根付いていくことなんだと、感じました。
そして応援してくれる人がいることの心強さ。
「伝えたい相手がいる」。
これが何よりもうれしい。

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ご縁をつないでくださった方、TEDxkumamoto代表のキャプテン(紹介したいネタ多し!)
コーチのランラン、運営にかかわるボランティアの皆様(子どもや高校生から大人まで!)
台風の中会場まで応援に来てくださった方々や
サイレンスの仲間やみなさまへ、今はただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
もうしばらく「記憶」とは無縁の生活を…。

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