深い海の底から

「お父さんのいい表情の写真ある?」と母ケーコ。
「最高にいい表情の酔っ払い写真ばかりだよ」と夜更けに爆笑する母娘。
私のスマホにはここ4年程の写真が保存されているが、父の写真と言ったら「いい表情」だらけだ。
顔中マジックで真っ黒に落書きした顔、キラッキラのカツラをかぶったピースサイン、クラッカーから飛び出したカラフルな紙のもしゃもしゃをこんもりと頭にのせインチキオジサンの髭を描いた顔、でっかい蝶ネクタイ、二重の眼鏡、帽子、小道具もばっちりどれもこれも片手にはビールか酒を手にし、流石としかいいようのない完璧なまでの酔っ払い写真。これ以上の「いい表情」があるだろうか。
母のいう「いい表情」とはいずれ使う写真のことだろう言わなくてもわかる。まだ父生きてるけどね。
「もうこれでいいんじゃない?」「むしろお父さんらしいわ」。ほんとに酔っ払い写真になりそうな父、これでいいのか、本人に確認しないととまた笑う母娘。涙も出てくる泣き笑い。


私は今どんな時間を過ごしているのだろうか。
人生の中のどんな時間軸なのか。
社会では緊急事態宣言があけ、街には人があふれ、まるで新学期のように一気に動き始めている。
周囲の人たちが新しい世界へ仕事をひろげている様子を見て、ふと焦りに似た気持ちがよぎるが、私はずっとここから動けずにいる。
ただじっと。


8月に父が肺ガンだと告げられたときは、今の時代は二人に一人がガンになる時代、
治療法も色々あるしまだ何とかなると思っていた。しかし検査入院などを繰り返し
「かなり進行した」ものだと分かった。
父の体調不良は今年はじめからあり、何度もかかりつけ医に相談し、検査をしたのにわからなかった。季節が変わり、声が出にくくなり、痰に血が混じることが増え、ようやく判明。
周囲の人は「もっと丁寧に診ればもっと早く分かったはずなのに…」「何度も診てもらっていたのに誤診では…」というが、
父は「心筋梗塞で倒れてから何年も見てくれた先生だからいいんだよ。」とそれ以上何も言わない。だれも責めない。
父は、そういう人だ。


一週間の検査入院を終えて退院し、お寿司をたらふく食べた午後に倒れて救急搬送。数時間後に元気に帰宅した父曰く「じじいはしぶといのだ」。びっくりしたよもう。
二週間家ですごしたのち、抗がん剤治療のため三週間入院予定であったが、
入院前日に血痰の量が多くなり一日早いフライング入院。
「最後の晩餐ができなかった!」と父、毎日最後の晩餐も晩酌もしてたでしょうが。
そうしてこの長期間の入院で一番堪えたのは、抗がん剤の副作用もだがそれ以上に「面会ができない」ことだった。
「生きる気力さえも奪う」とは父。
スマホをもたない父は毎朝8時ごろ公衆電話からの電話だけがつながる手段。
しかし「どうにか顔だけでも見たい」という切実な思いは作戦A,B、Cといろんな知恵を働かせ、生きる気力につながるものだ。失敗した作戦もふくめて、このエピソードはまた後日にでも。
退院後、しばらく自宅で過ごしたのち、抗がん剤治療で再入院をしたが、心身ともに負担が大きく抗がん剤治療から免疫療法に変更、今はいったん退院という形になった。
体調は日々変化するし、今後のことはわからない。
私自身は、夏以来仕事を最低限に減らし、父とそして母に対してできる限りのことを、できるときにできる形でしたいと思っている。
月の半分以上を両親がいる新潟ですごし、必要な時に自宅に戻る二重生活。
先が見えなくてどうしようもない不安にのみこまれそうになったり、良い想像をしても必ず悪い想像も一緒に出てきて眠れなくなったり、色んな感情が渦巻く。
祈れば祈るほど言葉はなくなる。
うまく吐き出すこともできないまま三か月がたとうとしている。
SNSでの発信も思うようにできなくなってしまった。
父や母を思わない日はない。
できるだけ新潟で過ごすようにしていても、私自身の家族も生活もあり、うまくバランスがとれないもどかしさ。どんな優先順位を考えても命が一番だけど、何が正解かわからない。

私にとって父とは、とてつもなく大きな大木でありいつも腕を広げてくれている完璧に安心できる存在だ。17歳で両耳の聴力を失い絶望の淵にいたとき
「お前の涙を見ていると、いっそお父さんも耳が聞こえなくなれば…って思う。
でも、その時は、お父さんだったら絶対乗り越えるぞ!」と私に寄り添ってくれた存在。
のちに、自分が聞こえなくなったことで苦労をさせてごめんねという私に
「親が子供の為に苦労をするのは、苦労ではありません。
 むしろ生き甲斐だと思います。
 その為に親は居るのです。
 ろうそくが身をけずってまわりを照らすのと同じく、
 親もその愛を子供にすべて与える為に生きているのです。
 だから苦労は喜びなのです。
 そうすることがうれしくて、楽しくてしているのです。」
と迷いのない文字でつづられた手紙を今も大事に持っている。

いま、私は当時の父と本当によく似た気持ちで父と母のそばにいたいと思っている。
「真に祈るとき人は、まず自らに沈黙を強いる」と作家の若松英輔さんはいう。
自分が今そんな状態になっていると感じる。
そんな状態だからこそ、いまは自分に「ことば」を取り戻したい。
そう思う。
日々感じる何気ない日常をつづっていく言葉を。
だれかに何かを伝える言葉を。
何かと何かをつないでいく言葉を。
毎日が「ケーコ劇場」のケーコネタも溜まりまくっている。
笑いを共有していく言葉も。
何よりも伝えたい感謝の言葉も。
深い深い海の底からようやく息継ぎをするような、
そんな、イマココ。