母校の卒業式

12年ぶりの卒業式に参加した。
昨日、18日は母校である筑波技術大学短期大学部の卒業式であった。
恐れ多いことに、卒業式の来賓としてお招きを受け祝辞を述べてさせていただいた。
卒業式を無事に終え、祝賀会に参加し、その後、デザイン学科の祝賀会に参加、さらに卒業生を送り出した後の先生方との簡単な打ち上げまで、フルコース参加となった。

久しぶりに、学長や先生方とお話をして思ったのは、
「先生」という存在は、自分が幾つになっても「尊敬すべき先生」なのだということ。
社会人となると、「先生に教えてもらう」ということがなくなる。
そんな中で、久しぶりに沢山の先生方のお話を拝聴し、私はすっかり学生に戻ったような気分だった。
印象に残ったのは、まず学長の式辞。

「豊かな老年期を迎えるには、充実した青年期を過ごさねばならない」
青年をしっかり生きなければ、豊かな老年に間に合わないということだ。私は、どうだったろうか。卒業して12年。いろんなことが凝縮された人生だったように思う。
やりたいこと、夢、目標、憧れ、どれもこれも「最終的にこうありたい」というビジョンが明確であれば、そこにたどり着く道は遠くても、必ず実現するものなのだと思う。
そういう意味では、とても充実した人生を歩んでいると言えるかもしれない。
私にとって、「筑波技術短期大学」はすべての始まりだった。
聴力を失い、何も信じられなかった私に生きる目標と楽しさ、その方法を与えてくれた場所だ。
在学時代には、寄宿舎を出て初めての一人暮らしと貧乏生活を生き抜き、お金をためては年に数度の海外旅行、挙句の果てに、大学構内にダンボール小屋を作り一ヶ月間泊り込んで卒業制作に励んだ。
同級生や先生方とのコミュニケーションや、いかに相手に分かりやすく伝えるかを学ぶ講義、「ユニバーサルデザイン」という言葉を知ったのも講義の中でだった。
こうした経験や、学んだことすべてが今の私の活動に活かされている。
人生が、長い航海だとすると、筑波技術短期大学は母港のようだ。

久しぶりに、先生方の話に耳をかたむけ(目をこらし)、なんだか初心を取り戻せた気分だった。
ふと、無邪気にやりたいことをやっていた学生時代に戻りたい!とも思ってしまった。

実は私は12年前、卒業式を終えた後「卒業したくない!」と、卒業証書を大学のロッカーにおいてきたのだ。いつの間にか自分でも忘れていたのだが、今は亡き恩師がその卒業証書を発見し、大事に預かっていてくださった。そして結婚式の時、恩師を招待したのだが、その場でやおら卒業式が始まったのだった。両親はそのとき初めて、卒業証書を目にすることになった。

さすがに今はそんなバカなことをする学生はいないようだ。
私の卒業式にまつわるエピソードはまだまだあるが、バカなことができるのが学生の特権。

さあ、豊かな老年期を迎えるためにも、まだまだ頑張らねば!と気持ちも新たに母港を後にした。