南三陸被災地応援ツアー

karinmatasumori2012-08-11

▶息子と共に南三陸町被災地応援ツアーに参加


中学生も一緒に参加できるボランティア活動は増えているが、うまく日程が合わず悶々としているときに見つけたHP。
南三陸町復興応援プロジェクト
http://united-earth.jp/minamisanriku/

三陸被災地応援ツアーは、一泊二日と、日帰り二つのコースがある。
被災された方々が中心となり企画をしているツアーなので、現地の様子を見るだけでなく、「語り部」の方から当時の話を聞くことができるのが特徴だ。
今回の目的は、まず息子に現地を見て、聞いて、感じてもらいたかったからなので、聞こえない私は話が分からなくてもガマン。
自分のできる方法で感じてこようと思っていた。
だから事前に様々な情報を頭に入れ、地図もじっくり確認をする。
その時、その場所で、何があったのか。
当時の記事や、動画などでの事前情報が頭の中にあると、現地で見た風景が結びつく。
ただ、先方に迷惑があってはいけないと事前に聞こえないことや、コミュニケーション方法などは伝えておく。

下記は当日のスケジュール。
8月某日(南三陸町視察が中心のツアー)
 9:00 仙台出発(ワゴン二台)
11:00 南三陸町着 被災地ガイド・語り部・(戸倉中学校・防災庁舎など)
11:45 防災庁舎で黙祷
12:00 さんさん商店街(各自昼食・買い物)
13:50 歌津地区被災地ガイド
15:20 志津川地区被災地ガイド
16:00 戸倉地区被災地ガイド
17:00 仙台へ移動
19:00 仙台駅到着・解散



▶筆談上手な女性との出会い、現地の手話のできる女性との出会い


仙台駅からワゴン二台に分乗して南三陸町に向かう。
参加者は全部で11名くらいか。
車内で隣に座った若い女性に、思い切って筆談で話しかけてみる。
難しい漢字をすらすらと書いて、ガイドさんの話を教えてくれる彼女は、知的美人という言葉そのもの。
神奈川県の銀行に勤めていると聞いて納得。
その後も、何かと筆談でサポートしてくれて心強いツアーの始まりとなった。
助手席に座る息子は、高速道路でずっと爆睡。
仙台から二時間、三陸町に入ると突然山間から視界が開けて海が見えた。
山肌に沿った鉄道は線路が断絶され、その向こうにトンネルがぽっかりと口をあけている。
山の遥か上の方で、木の色が変色している。
見上げても想像を絶する高さだ。
コンビニで、現地のスタッフ、語り部の皆さんと合流。
筆談用のメモを用意してくれていただけでも嬉しいのに、なんと手話ができる地元の女性を二人も探して連れてきてくださっていた。
驚いたし、嬉しかったし、「説明が伝わるか心配だったので…」というスタッフの思いに胸がいっぱいに。
手話のできるお二人は「被災して以来なかなか手話の勉強ができず…」
と久しぶりに使う手話を思い出しながら一生懸命話してくれた。
当初は午前中だけの同行予定だったようだが、結局最後までお付き合いいただくことに。



▶「何度となく話しても過去にはならない」


手話のできる女性の一人は、海に面した高台にある戸倉中学校の横に家があったという。
過去の津波の経験から、町一帯が飲み込まれるなんて誰も想像しなかっただろう。
だれもが大丈夫だと思いこみ、津波にさらわれた人が多かったという。
高台にある戸倉中学校は一階部分が全部浸水し、窓がなくなっていた。
手話のできる女性の家もなくなり、今も仮設住宅に住む。
中学校の校庭に立ち、志津川湾を見下ろし、こんなところまで波が来るなんて。
実際にこの場に立って初めて恐怖を感じる。
志津川湾に面して建つ戸倉小学校の子どもたちは、山の上にある五十鈴神社に避難して雪も降る中野営をしたという。

歌津地区では、車中から「ここに私の家があったの」と手話ができる女性のもう一人が指さした。
津波が引いて戻ってみたら、何にもなかった。
家の基礎部分のあちこちに魚がいたという。
更に坂を上っていくと避難所となった歌津中学校。
今は校庭の半分が仮設住宅となり、女性もここで家族で暮らしている。
校庭から湾を見下ろすと、海に沿って続く歌津大橋が途中で断絶されていた。

高台の公園から街を見下ろしながら語り部の話を聞く。
私にはあらかじめ用意した原稿を渡して見せてくれた。
津波で両親を亡くした彼女は、そのときの情景や、会話を
一言一言、ゆっくりと、ときに涙を呑みこみながら、絞り出すように語ってくれた。
途中からぽつぽつと雨が降り始める。
雨足が強くなってきたのも分からないくらい誰もが彼女の語りに耳を傾けていた。
この応援ツアーは、週に二回、ほぼ毎週のように開催されている。
おそらくそのたびに、話しているのだろう。
「何度となく話しても、過去にはならない」という。
そして笑顔で続ける。
「それでも、南三陸の海が好きだから。みんなに知ってほしいから話し続ける。」と。



▶「全部なくなっちゃった」


昼食は復興商店街「さんさん商店街」でお刺身定食を。
息子が嫌いなウニをくれた。ほっぺが落ちるほどおいしい。

手話のできる女性二人からも、いろんな話を聞く。
津波が引いてから自宅に戻ってみたが
「なんにもなかった」
「結婚指輪も、大事にしていた着物も、洋服も、全部なくなっちゃった」
「道すらもなくなっているから自分の家も分からなかった」
「親戚のおばあちゃんは、二歳の孫を抱いたまま流されちゃったの。見つかったときは孫を抱っこしている手の形で見るのもつらかった」
仮設住宅では、最初のころは四畳半の部屋二つに六人で、今は家族四人で生活しているそうだ。
予定では、来年三月までだというが、新しい家を建てる余裕もなく
「まるで先が見えない。かといってこの町を離れることもできない。」という。

ただひたすら聞くことしかできない立場であったが、嬉しかったのは
「今日、松森さんに出会えてよかった!」と何度も言ってくれたこと。
私だって同じだ。
生きていたからこそ、こうして出会うことができたし、そのことを純粋にうれしいと思う。
今日をきっかけに手話の勉強を再開したい!というお二人に、私の本を送る約束をした。



▶実際に感じることが本物になる


今なお瓦礫が山積みの南三陸町を見て、息子は何を思っただろうか。
町のそこここで当たり前にあった人々の営みを、根こそぎ持っていった海は穏やかだった。
建物がないから、潮の香りがダイレクトに感じられる。
瓦礫からは異臭がするし、波に襲われた木々の色は変わり果て。
そんな中でも、笑顔で対応してくれるスタッフの皆さんの温かさを、深く感じた。
いつも言っていることだが、自分の体で経験し、自分の目で見て、自分の耳で聞き、感じとった実体験が本物だ。
テレビや新聞、雑誌で見るよりはるかに本物。

もし、被災地に興味があるけど子どもがいるから…と迷っている方
ぜひこの「南三陸被災地応援ツアー」に参加してみてほしいと思う。
http://united-earth.jp/minamisanriku/img/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E6%97%A5%E5%B8%B0%E3%82%8A.pdf
日帰りでも行ける貴重なツアーだし、私が参加した時も小学生の子供や九州から来た人もいた。


今日はちょうど震災から一年と五カ月目。