振り返り、伝える。


一年前のあの日は
二年前のあの日は
三年前のあの日は


きっとたくさんの人が
そんな風に振り返った一日だったのでしょう。

食器やグラス、鍋までも割れて散乱したキッチンの片付けが一段落し、
余震が怖いからと、リビングで久しぶりに息子と布団を並べた夜。
生字幕を出し続けてくれるNHKと日本テレビにくぎ付けでした。


昨年、宮城県立聴覚支援学校に通う
三人の聞こえない中高生に取材をする機会がありました。
その中の一人の少女は四日間、家族と連絡が取れずに寄宿舎で過ごしました。
携帯のワンセグや、先生の車のテレビを見たときの怖さを
こんなふうに振り返ってくれました。

「怖かった。
テレビの端に、200人、300人、と
どんどん増えていく犠牲者数のテロップは、
自分の家と重ねてしまい見ていられなかった。」と。


遠く離れた私でさえも、テレビに映し出される数字が
刻一刻と、そしてあっという間に増えていくのは
得体のしれない恐怖を感じました。


それでもやっぱり、
「テレビが見れたおかげで、情報を得ることができた」と
彼女はいいました。



情報を伝える
3.11を伝える



一年後もその後もずっと、
四年前のあの日は
五年前のあの日は
六年前のあの日は
十年前のあの日は、と。