お世話

聞こえない人に限らず、障害がある人を見ると、「守りたくなる」人がいる。。
もしくは「〜〜してあげなくちゃ!」という気持ちになる人も多い。


某デパートに行った時、総合受付でトイレの場所を尋ねたら口頭で教えてくれるので、聞こえないことを伝えた。通常はここで、館内地図を広げて、指で示しながら教えてくれるか、あるいは身振りを使って場所を教えてくれたりする。
ところがその日、受付にいた男性スタッフは違っていた。

「ちょっとお待ちください」という感じで私に指示を出したあと、受付から出てきたと思いきや、私の前に立って先導し始めたのだ。
角を曲がるときには必ず振り返って満面の微笑で、「こちらへどうぞ!」といった感じ。他のお客さんから守るようにうまくよけながらの誘導だ。
「トイレくらい一人で行けます」なんていまさら言い出せず、ついていく自分が悲しくなってきた。

少し行くと、10メートルくらい前方にトイレのサインが見えてきた。
「あ、あちらですね!分かりましたので、ここまでで大丈夫です。」

私はハッキリ言ったのに!
にっこり微笑みながら、先を行く案内係のお兄チャン、とうとうトイレの前に到着。
いささか引き気味にお礼を伝えたら、トイレの入り口で右手を出して促し、頭を下げられた。


それはまるで、
「ようこそトイレの国へ!」といった感じ。
他のお客さんもいる前で恥ずかしい事この上ない。


案内係のお兄チャンとしては、悪気はないのだろうが過剰なサービスは大きなお世話といった感じ。
相手がなにを求め、どう対応するべきなのか、案内スタッフとして最低限知っておいてほしいと思う。



もう一つ思い出すのは、「善意のお世話」。

子供を育てていると、いろんな場面で緊急連絡網が欠かせない。
幼稚園、小学校、部活、習い事など、あっちこっちで緊急連絡網のネットワーク。
私はいつも事前に先生と相談をする。
今ほど携帯メールが普及する直前の頃は、まだ連絡網は電話が中心だったため、電話のできない私は、連絡網の前後の人と直接相談をして理解していただき、ファックス、あるいは携帯メールで連絡をもらう提案をしていた。
けれども、先方が心配をして、我が家のみ直接ファックスをする。という対応をされたときもあった。
もらった緊急連絡網のプリントには、我が家の名前も電話も載っておらず少々サビシかった。
もちろん、先方はスムーズな連絡と安心を考えての精一杯の対応だったのだと思う。気持ちは分かるし、ありがたいのだが、二年目には改めて説明に伺い、私の希望通りにしてもらった。



聞こえなくてできないことは、確かにある。
でも、方法を変えたり工夫をすれば可能になることはもっとある。
なのに、周囲が勝手に先回りをして、
「あの人は聞こえないから、難しいかも。誰かがサポートしなくちゃ!」
と、ことが進んでしまうこと。
こんなのしょっちゅうだ。


慣れているとはいえ、やっぱり悔しいと感じることもある。
聞こえる人以上に仕事を頑張っても、聞こえる人以上の社会活動をしていても、聞こえる人以上の肩書きを沢山持っていても、聞こえる人以上の努力をどんなにしても、

「聞こえないから、〜〜してあげなくちゃ!」と思われてしまうなんて。
逆にこちらが「してあげていること」も沢山あるのにね!笑


時には、そのお世話がありがたかったり、嬉しかったりすることもあるのだが、忘れてほしくないのは「〜〜してあげなくちゃ!」と思う前に、


「まず本人に確認!」これが大事。


子供に対してだって、そうだろう。
何でもかんでも親が心配してお世話をするよりも、まず子ども自身にやらせる、考えを聞く、主体性を尊重する。
決して相手の人格をつぶしてはならない。
子供であっても他人であっても。