中村久子との再会

karinmatasumori2011-04-08

京都で宿泊したホテルのロビーに、市内観光マップやらイベント案内などのチラシが沢山並んでいた。
そんな中、ふと引き寄せられるように目に留まったのが

「中村久子展」

中村久子−
それは私が高校生のとき、聴力を失い、生きる意味を見出せず、絶望の淵にいたとき、たまたまテレビで見かけた。
三歳のときに両手両足を失い、想像を絶するような苦難続きの人生を「それでも人生に絶望はなし」と生き抜いた姿を、音が聞こえないテレビを私は凝視した。
数日後、田舎の小さな本屋で「中村久子の心の手足」という本を見つけたときは運命としか思えなかった。
そして、彼女の生き方、考え方は、そのときの私の大きな心の支えになったのだ。
「逆境こそ人生の師である」
「やればできる。絶対にできる。できないのはやらないからだ。」
むさぼるようにして、何度も繰り返し読んだその言葉は今でも心にずっとある。


手話リンガルイベントは、午後からだったため自転車を借りて朝一番で東本願寺まで行ってみた。
20年ぶりくらいの再会に、ドキドキしていた。
東本願寺の落ち着いたギャラリーで、彼女の一生涯をたどりながら、当時の自分を思い出し、そして東北大震災の被災地を思う・・・。


人生の途中で障害を負うというのは、身体的な機能の一部を失うだけでなく、それまで築き上げてきた人生さえも失うことに繋がる。
そこからは大きな絶望感と悲観を生み出す。
それでもなお生きなければならないという現実。
そこから立ち上がり、新たな人生を再構築していくことの、しんどさ。


でも、
生きてさえいれば大抵のことは何とかなる。そう思う。


ギャラリーの天井から床までもある大きな書が、もう一度励ましてくれた。
来場者の背中へと。温かく。強く。

「人生に絶望なし いかなる人生にも 決して絶望はない」