障害の受容って?

「障害を受け入れる」
「障害を乗り越える」


巷でよく聞く言葉。
障害を負ったら受け入れなくてはならない。
障害は乗り越えなくてはならない。



それが一般世間の考え方のようだ。
若いころに聞こえなくなった私自身もなんら疑うことなく、自分の障害を受け入れることに、乗り越えることに一生懸命だった。
でも、きっと、言葉で片づけられるほどそれは単純なものではないのだと思う。
なぜならば、受け入れることにも、乗り越えることにも、人生が続く限り終わりはないから。



ただ、自分の障害と正面から向き合い、客観的に知ることはとても大切。
もう10年も前、講演会場で「私と同じように聴力を失いつつある高校生がいる」と、女の子を紹介された。
その時の彼女は、何年か前の自分と同じように頭をうなだれ、目に光はなく、たとえようのない暗い影を抱いていた。
講演後、懇親会の場で彼女の話をひたすら聞いた。
当時手話ができなかった彼女は、裏が白い新聞広告をたくさん持ってきていて、心の内が走り書きとなってつづられた。
何枚も何枚も。
ひたすら無言で書き綴る彼女の姿は、かつて私も経験したものだった。
コミュニケーションが絶たれるたとえようのない孤独感。
さびしさ。やるせなさ。
原因が分からないことへの腹立たしさ。
自分の意志とは関係なく聞こえなくなっていく耳。
それはぶつけようのない怒りとなって鬱積してゆく。
「聞こえてさえいればできるのに」
自分が自分らしくいられない状態が続き、人格が破壊されていく。
何もかもがめちゃくちゃになってしまえばいいのにと、家族や友人につらく当たり、自分を取り巻く世界を呪う。
聞こえる人全員が憎いと思ったし、そんな自分の思いに歯止めもきかなかった。
あのころの自分は、悲しみと苦しみと怒りと憎しみに満ちていた。
周りをせめて、自分をせめて、
そして向かうのは、「自分さえいなくなれば、家族や友人につらい思いをさせることもないのに」という思い。



自分が助かったと、わかったとき、私は
「生きててよかった」とは思えなかった。
「ああ、また明日から同じ一日が始まるのか…」と。
それでもなお生きなくてはならない現実に、
光なんか全然見えなかった。
目の前の彼女が、かつての私に重なった。



その後彼女は、大学に進学し、少しずつ少しずつ、自分の足で歩み始めた。
彼女からもらった大学の卒業論文は私の宝物でもある。
それは、彼女の社会関係の喪失と再構築について、自分自身の失聴と徹底的に向き合った心境が客観的につづられた見事なものだった。

その中に、「障害の受容」についても書かれている。
彼女の論文によれば障害受容にはこんな過程があるという。



1、ショック、混乱期。
障害という事実が理解できない。実感もなく、障害を受けた今の自分を否定する。

2、回復への期待、怒り、退行。
回復への期待を捨てられない。今の状況に対し理不尽であると怒る。生きづらい自分を体験し始める。
回復のみを期待することで、防衛的に障害を否認する。

3、取引き、抵抗、抗うつ。
回復するようにと神との取引を願う。何とか以前の自分に戻りたいと抵抗をする。徐々に受動的になり、できないことをあきらめ、悲観に暮れる。

4、適応努力。
少しずつ自分の状態を理解し、受容し始める。障害を受け入れようと前向きの姿勢が生まれる。

5、受容、適応。
自分の状態を理解し、障害を自分の一部として受容するようになる。今の自分が現実的に生きることを模索する。



ああ、自分にもそんな過程があったなぁと思う。
そこには「受容」という安易な言葉だけではなく、あきらめもあったり、割り切りもあったり、煮え湯を無理やり呑み込む、そんなこともあった。
そしてそれらは、自分だけで解決できるものではない。
自分を取り巻く家族や友人、関係者や社会全体の理解も大きくかかわっていく。
大勢の中での関係の中で私たちは生きているのだから。
だから、いろんな人を受け入れられる温かな社会づくりに、少しでも貢献していきたいと思うし、自分自身もそうでありたい。




彼女は今、しっかりと自分の足元を見つめ、いろんなことを話してくれる。
とても純粋で、一生懸命な彼女だから、自分が納得できないと次に進めないところもある。
自分自身でもよくわかっているみたい。
でもね、自分自身も含め人間社会や世界のことは理屈では説明できないことのほうが多い。
だから、なんでも根を詰めて考え込まず、時には何とかなると思ったほうがいい。
生きてさえいれば、たいていのことは何とかなる。
何とでもなるもの。
障害の受容だとか乗り越えるとか、美徳めいたことに惑わされないことも大事!
自分が自分らしくいられるように、もっと笑わねば!