「聞こえる」か「聞こえない」か。

世の中の多くの人にとって「聴覚障害」とは全く聞こえないということなのかもしれない。
佐村河内氏の会見を見ていると、強く思う。


今日も、朝からいろんな番組で
彼の記者会見の様子を紹介していた。
昨日の記者会見中継では、TBSさんが生字幕をつけていたようだが
その後のワイドショーなどでは当然のごとくほとんど字幕はない。
同じ当事者が話題になっているにも関わらず
内容が分からないというこの矛盾。


字幕のないテレビを見ながら、
きっと、聞こえるコメンテーターたちは
言いたい放題なんだろうなと、想像する。


そんな時、こんなブログを見つけた。
ろう者のサッカー映画「アイコンタクト」で有名な
中村和彦監督のブログ
<聞こえにくい人である佐村河内氏と手話〜記者会見より>
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/17f6f7548a61f5401910641dd57f0e1b


聴覚障害者との交流が多くある中村監督は、理解も深い。
これを読んで、記者会見の様子が少し分かった。
想像通りとはいえ、マスコミの彼らには
「聞こえる」か「聞こえない」か
どちらかの世界しか想像できないのだろうか。
その間の「聞こえにくい」世界について、もっと知識をもって
取材に臨む必要があるのではないか。


「聞きやすい声の人、聞きにくい声の人がいる」とか
「調子が良い時はある程度聞き取れても、耳鳴りがひどい時は聞き取れない」とか
「静かなところなら会話ができるが、シャッター音などうるさいところでは聞き取れない」とか
環境や体調、状況によって、聞き取りの質は大きく変わる。



「音は聞こえるけれど、言葉の聞き分けはできない(難しい)」
これが感音性難聴の特徴でもある。



そうしたことも理解せずに暗に障害者差別ともとれるような
質問をするマスコミや、テレビでコメントをする人たちって何なんだろう。
当然悪意はないのかもしれない。
しかし、悪意のない無知は時として、凶器のように人を傷つける。


50db程度の難聴は、私の経験上
日常生活に支障をきたすことがかなり多くあるレベルだ。
聞こえるのか聞こえないのか、自分でも判断できず
会話のすべてに自信を無くしたりもした。
それでも、日本の福祉では、70db以上でないと障害者として認定されない。
アメリカの聴覚障害判定基準は40dB以上で、
生活の中の様々なサポートを受けることができるのに、
日本ではできないという現状を、どれだけの人が知っているのか。
それこそ、
字幕も手話もつかず、聞こえない人への情報保障が
完全とは言えない日本のテレビや報道の在り方を
まずは見直してほしいとも思う。


佐村河内氏を庇護するわけではないが
日本のマスコミや、いわゆるジャーナリストといわれる方々は
もっともっと知らせるべきことがあるのではないか。
もっともっと知るべきことがあるのではないか。


顔の両脇についているその耳を、もっときちんとひらいてほしい。