ハンセン病療養所 長島愛生園と、神谷美恵子さんの「生きがいとは」

ずっと行きたいと思っていた岡山県瀬戸内市にある長島。
ここには日本初の国立ハンセン病療養所、長島愛生園があります。



http://www.aisei-rekishikan.jp/

長島愛生園のことを知ったのは、2018年に読んだ神谷美恵子さんの著書
 『生きがいについて』でした。
本の冒頭から、息を止めるようにして読んだものです。
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平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかもしれないが、世の中には、毎朝目が覚めるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてもしない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうして生きて行かなければならないのだろうか、
なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。……いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか(本文より)
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聴力を失ったときの自分の状態の描写と重なりました。

何年もの時間をかけて少しずつ音が遠ざかり、やがて音を失いました。
砂浜の砂をすくってもすくっても、指の間からさらさらとこぼれていくように。
つかめない音は、私の生活、コミュニケーション、
周囲との関係すべてを変え
自分が生きている意味は何度考えても分かりませんでした。17歳の時です。
そんな状態をありのままに言語化する神谷美恵子さんとは
一体どんな方なのだろうか?惹かれるがままに神谷さんの本を読み漁りました。
そうして、神谷美恵子さんは社会から隔離された長島の国立ハンセン病療養所
生きがいがないと訴える患者たちに数多く出会い
精神医学調査を行い、
ハンセン病患者の精神医療に携わってきたことを知りました。
当時、ハンセン病は感染力が高く不治の病と言われ
強制的に家族から引き離され、名前を変え、
存在すらも消され
日本では1996年までハンセン病患者の終身強制隔離が続いていたのです。
国の誤った政策のためいまだに続く偏見と差別。
子どもをつくることは許されず、
1996年まで続いた優生保護法に基づく強制不妊手術などは
聴覚障害者もまた例外ではなく、その事は以下の記事にも書いています。

<2018-06-25埋もれていた苦しみの向こう側>
https://karinmatsumori.hatenablog.com/entry/20180625
<2015-06-25子を産むに値する人とそうでない人という区別>
https://karinmatsumori.hatenablog.com/entries/2015/06/25
そして、神谷美恵子さんの著書から、
ハンセン病療養、長島愛生園について
知ったタイミングで
目に留まったのが、志村季世恵さんのFacebookの記事。
この記事を読んで、いつかかならず訪れてみたい、そう強く思ったのでした。
今回岡山で講演をする機会に恵まれ、
主催者に相談をしてみると講演前にご案内してくださるとのこと、
願ってもいない機会でこんな巡り合わせがあることに心から感謝しました。

「光りあふれる美しい地」
これが長島に降り立った最初の印象です。

太陽の光が惜しみなく降りそそぎ、瀬戸内海の水面に反射してきらめき
眩しいほどに美しいのです。
でもこの光では照らしきれなかったいくつもの闇もまたあったのでしょう。
長島について話す人は大抵
「今はきれいだけれど…」と前置きをします。
愛生園歴史館の展示や映像から、
胸が締め付けられるほどの苦悩の歴史の一部が伝わってきました。
収容桟橋、収容所、監房など見学コースを回り

納骨堂でお花を供え手を合わせました。
島の中に納骨堂があること、
それは終身隔離という悲しい現実です。

今回私が一番心に残ったのは、
長島と本州を結ぶ青い橋「邑久長島大橋」です。

隔離する必要がないことを象徴する形のひとつとして、昭和63年にできたとか。
この橋の事を知ったとき、思い出したのは
拙著「音のない世界と音のある世界をつなぐ」(岩波ジュニア)の中で紹介した
住井すゑさんの「橋のない川」(新潮社)のことです。
差別する側と差別される側の間に橋が架かっていないことを
暗示した物語について
拙著の中で私はこんな風に述べています。
「双方で架け橋をつくってつなげていったら、
そう最初は一人しか通れないような橋でもいいのです、
少しずつ幅を広げていけばきっとお互いを豊かにしていくのではないだろうかと、
この作品を読んで強く思ったものです」
邑久長島大橋ができたおかげで、多い年には1万2千人が橋を渡ってくるとか。
翌日、福武財団の内田 真一さんにこの話をしたとき
「島にいる人達は、知ってほしいと思っている」と静かに一言
おっしゃっていたのが心に沁みました。
神谷美恵子さんの著書の中では
「自己に課せられた苦悩をたえしのぶことによって、
何事か自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、
それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造といえる」こととなり、
「ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、
自らの苦悩のなかから創り出しうる」
と述べています。
つまり新しい生きがいを
苦悩の中から見出だすことができるのだと。
そしてこの内面から生まれたものこそいつまでもその人のものであって、
何ものにも、誰からもけっして奪われるものではない、というのです。
愛生園歴史館の中にはそれを表す楽器、絵画、陶芸、写真など
数々の美しい芸術作品が多くありました。
「知ってほしいと思っている」
そんな思いに耳をかたむけ、想いを馳せる。
そうしてその場で見たことや
内面から湧き出てきたことを、言葉にして他者へ伝えていく。
それが私にできること、
知らねばならない多くのことを知るために。

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