つなぎなおし、つながりつづける。

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「つなぎなおす」ということ

 

毎年この時期は、つなぎ直しの連続だったことを思い出します。

 進級、卒業、入学、就職、転職、引っ越し等環境が変わるたびに

周囲や関係者に、自分の聴力やコミュニケーションの工夫について説明をしてきました。
それらはまずは自分のためであり、お互いの不安を少しでも解消することで

より良い関係を築いていくことが目的でした。

 

子どもが生まれると今度は
「子どもは聞こえるけれど母親の私は聞こえないこと」
「子どもや周囲とのコミュニケーションや、工夫、お願いしたい事」などを
子どもの成長にあわせて
保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校と
学年があがるたびに、学校が変わるたびに説明の繰り返しです。

時にはうんざりすることもありましたが
これを根気よく繰り返せるかどうかで、周囲の理解と関係が変わってきます。
そして、それらはすべて
子どもが気持ちよく楽しく学校生活を送れるように
との思いからでした。

 

そのために下記のような事を整理し
資料として作成し、学校側に説明をしていました。

 

・自分の障害について(聴力や発話、普段のコミュニケーション等)

・子どもとは0歳の頃から手話でコミュニケーションをしてきたこと

・「井戸端手話の会」ができて手話ができる保護者が周りにいること

・非常時の連絡手段

・緊急連絡網(当時はFAX)では順番を最後のほうにしてもらい

前後の保護者と直接お会いして、連絡手段を確認すること

・入学式、卒業式、授業参観等の学校行事では手話通訳をお願いしたいことと

それにかかわる手続きの方法や、役割分担について

・PTAや保護者会などの役割も同じように関わりたいこと

・何かあれば本人に確認をしてほしいこと

逆にこちらができることもいくつか添えたり。

例えば、

・手話や聞こえないこと、コミュニケーション、進路に関する講演や勉強会

・拙著や関わってきた本を全クラスに寄付したいこと

・こうしたことはすべて無償で引き受けるつもりであることなど

 

学年によって内容は変わりますがおおむね上記のことを
毎年、先生や校長との面談を通して伝えていました。
学校の規模や私立、公立、先生方の経験値や理解によって大きく左右されます。
学校の先生方だけではなく、ママ友や保護者達との関係づくりもそうです。
子どもが幼稚園入園後に、マンション内のママ友を集めて
「井戸端手話の会」を立ち上げることができたのは
本当に良いタイミングだったと思います。
おかげで、20数名のママ友と手話で話せる環境ができたのです。

 

学校側や、あるいは先生ひとりひとりにしてみれば
「聞こえない母親」と出会うのは初めてのケースかもしれません。
保護者にとっても同じでしょう。
親が聞こえないからと、子どもが不利益を被ることのないように
できる限りの準備や対話を心掛け
保護者会やPTAにも積極的に参加し、役員も務めたものです。

 

こんなとき、井戸端手話の会のメンバーの存在が本当に心強いものでした。
手話ができるひとがいるだけで、そこから手話が広がっていくからです。
 

しかし、こうして丁寧に関係を築き上げても
一年または二年で担任が変わり、クラスも変わると、またつなぎ直しです。
自分のことだったら
「自分がちょっと我慢すればいい」とやり過ごすこともできますが。 

 

幼稚園から中学校までは、同じマンションの子たちも同じ学校だったので
井戸端手話の会のメンバーたちが子ども同士の
いろんな「声」や「会話」を教えてくれたり
文字通りの「井戸端手話の会」にとても助けられていましたが
高校進学時、それぞれ違う道を歩み始めました。

また新たな「つなぎ直し」でした。
今思うとしんどいこともあったけれど、楽しかったなと思います。

 

「そこまでするのもすごいね」と言われることもあります。

それはたぶん、私自身が高校二年生の頃
進学を希望していた専門学校2校から
「聞こえない生徒を受け入れることはできない」と
進路を断たれた経験が大きく影響しているように思います。
「障害のない人と同等、もしくはありのままに生きる権利を否定される」という経験から
それを「仕方ない」とあきらめ
自分自身から「学ぶ環境をつくってほしい」と声をあげることもできなかった少女時代。
お互いがつながるための「対話」という方法も知らなかったのです。

 

あれから20数年が経ち、法整備も少しずつ進んできました。
共生社会、インクル―シブ教育など、言葉にすれば簡単ですが
それを目指すには身を削るような努力や、歩み寄りがまだまだ必要な時があると感じる社会です。

それでもどうかつながることをあきらめないでほしいし
私自身も、つながり続けていきたいと思います。

 

「井戸端手話の会」は今年で17年。
今も変わらず文字通りの井戸端手話を楽しんでいます。
子どもたちは20歳となる年で
もう私が母親として「つなぎ直し」をする機会はないでしょう。

 

それでも振り返ってみて思うのは
もともと人と繋がることが苦手だった私が
色んな人と、色んな社会とつながってこれたのは「子育て期」という
自分の人生の中で面白い時期があったからだと思います。
きっと私の母もそうだったんだろうな。

 

そうやって、つながってきたことが
子どもたちの未来にもつながっていくといいなって思うのです。