1月1日新潟実家にて大地震に遭遇

1月1日午後4時過ぎに発生した
石川県能登地方を中心とする最大震度7の大きな地震の時
母が1人で居酒屋を営む新潟実家に息子といました。
築80年の古い木造家屋の2階は
ギシギシと軋む音をたてながら大きく揺れました。
石油ストーブを消し、揺れが落ち着くのを待ってから
必要なものをもって一階に降り、ドアを開けて出口を確保。
1階は居酒屋で2階が住居なのです。
テレビをつけるとただ事ではない様子。
何度も緊急地震速報を受信し、テレビには津波警報が。

そんな折、お店の常連さんが駆け込んできてくれたのです。
「今から新潟駅に避難しよう」と。
いつも母のことを気にかけてくれる方で、本当に心強い。

新潟駅には同様に避難した方や、駅を利用していた人たちでいっぱい。
冷え込んできたので自動販売機で温かな飲みものを買いトイレへ。
想像通りですが、男子トイレはすぐに入れるのに女子トイレは長蛇の列。

これまで駅や空港、劇場など公共の施設のユニバーサルデザインに関わってきましたが
女子トイレの数の少なさはことあるごとに指摘されている課題です。
男子トイレと女子トイレの面積が同じでは
女子トイレの個数が少なくなるのは当然、所要時間も女性の方が長いわけです。
設計や企画の段階に女性の視点が入らないと、こういうことになります。

また駅構内で人がごった返していましたが
在来線改札口はホワイトボードが出され
「ただ今全線で運転見合わせ中(地震発生による安全確認中)」と書かれていました。
聞こえる人でも聞こえない人でも見てわかるのは安心です。一方でみどりの窓口や新幹線改札(南口)付近は
駅員さんが大声を張り上げて対応していました。

音や声の情報は聴覚障害者にとってはないのと同じ。
こんな時こそ、ホワイトボードなどを出して情報を伝えてほしいのです。
正確な情報が分からなくても、
在来線対応のように、現時点で分かっている範囲で書き出し、
随時更新してほしいのです。
駅構内にある電光表示板や、数々のモニターやデジタルサイネージ
陽気な宣伝を繰り返すのではなく
すぐに災害時用にシフトして機能してほしいのです。

また駅構内のビッグカメラからは
「ビーック ビックビック ビックカメラ!」のテーマソングが
大音量で鳴り響き、
聞こえる人でも音声情報が聞き取れない状態。
非常時にはすぐに消し、
必要な情報が得られる環境をつくることも重要です。
それこそ、ビッグカメラ店頭に並んだ大型液晶テレビで震災のニュースを出してほしかった。

駅や空港など、公共の施設においては
お客さまの中に聞こえない人や聞こえにくい人、
見えない人や、移動が困難な人、妊婦さんや子ども
外見で分からない困難を抱えている人や外国人など
多様な人がいることを想定して、日ごろから備えてほしいのです。

2024年4月1日からは障害のある人への合理的配慮の提供が
事業者も義務化されます。
公共性の高い民間事業者は、最低限の環境整備が必要になります。
今からでも遅くはありません。
一緒に考えませんか?
東日本大震災のとき障害者の死亡率は健常者の2倍以上であり
聴覚障害者もまた健常者を含めた全体の死亡率の2倍でした。
同じことを繰り返してはならないと思います。

その後も余震が続き、実家に帰宅後は断水もありました。
幸い我が家は居酒屋なので、食べ物や飲み物に困ることはなく
万が一の時、トイレはウーロン茶と炭酸水で対応できます。
とはいえ余震で眠れず、母は地震のニュースばかり見てしまうので
親子三世代トランプ大会を朝まで繰り広げる日々。

日中は、母の運転用メガネや防寒ブーツ、
避難リュック、灯油など
災害時に必要な物品を買いそろえました。

居酒屋舟宿は3日から営業しました。
不安を吐露したり、分かち合う場が必要なのだと思います。
常連さんたちもは皆、口をそろえて
「ママのことは任せて!」
「ここ(舟宿)がなくなったら困るから」と言ってくれます。

日頃からエアコンが壊れたときも、製氷機が壊れたときも
車が壊れたときも、電気が切れたときでさえも、
常連さんたちに
なんとかしてもらっていた母、本当にありがたいことです。

父と母が新潟の地に居酒屋舟宿を構えて18年、
両親ふたりが築き上げてきた信頼関係のつながりが
非常時に大きな支えとなるんだなと、
改めて両親の凄さを感じつつ
母を支えてくれる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
母にとって必要なのは、物よりも人とのつながり、なんですね。

私と息子は、自宅に戻りました。
新潟にいる間、たくさんの有益な情報を送ってくれた皆さん、どうもありがとう。
まだ夜中に地震の夢を見て飛び起きたりしますが
被災地と被災者に想いを馳せながら、日常生活を送り
自分ができることしていきたいと思います。
被災地では日に日に惨状が明らかになっていますが
これ以上被害が大きくならないようにと、祈るばかりです。