聴覚障害者と黙とう

黙とうとは、声に出さずに心の中で祈ること。
東日本大震災が起きてから、一ヶ月目、二か月目と、節目の同時刻に黙とうをささげる人々の姿が、ニュースでも映し出されている。


さて、この『黙とう』。
集団で行われることも多いのだが、私はちょっと苦手。
なぜならば、黙とうは目をつぶるのが一般的で、時間は数秒から一分程度。
「目をつぶる」というのは、聴覚障害者にとって周囲の音が聞こえない人にとって、情報が遮断されることでもある。


そう、黙とうが開始されても、終わるタイミングが分からないのだ。


全員で起立し、目を閉じ、そろそろかな?と顔を上げると、まだ続いていたり、逆に隣の人にポンポンと肩を叩かれて目をあけると、すでに黙とうを終えてみんな着席し、一人黙とう状態だったり。
不謹慎だとは思いつつ、これじゃ、いつ終わるのか気になって黙とうどころじゃない。


黙とうをするなら、一人でやるのがいい。
限られた短い時間の中で、様々な思いを心に浮かべる個人的な行為なのだ。


今日はある集まりで、参加者のほとんどが聴覚障害者という中で黙とうの時間があった。一分間がとても長く感じられ、目をあけるとまだまだ黙とう中であった。
しかし、他の聴覚障害者たちもやはり気になるようでほとんどの人が頭を垂れつつもさりげなくキョロキョロと、周囲をうかがっている様子。
やっぱり、聞こえないと気になるよね。


黙とうは一人でやるのがいい。