倉嶋家(旧姓)の家族葬、多少型破りであっても倉嶋家らしく送り出したい、
そんな思いを受けての家族会議。
さすがに、父の顔に落書きはせず、
遺影となる写真をもう一枚印刷し、パネルにし
一人一筆ヒゲやら眉毛やら髪の毛やら何やら描いて遺影と比べては笑い泣き。
そんな思いを受けての家族会議。
さすがに、父の顔に落書きはせず、
遺影となる写真をもう一枚印刷し、パネルにし
一人一筆ヒゲやら眉毛やら髪の毛やら何やら描いて遺影と比べては笑い泣き。
7月21日明け方、最愛の父が旅立ちました。
ちょうど一年前末期癌が分かり入退院を繰り返し、
6月始めに在宅医療での緩和ケアに切り替えて1ヶ月と2週間でした。
その間一度救急搬送されましたが、きちんと帰宅し
どんなにモルヒネを強くしても意識が混濁することなく最後まで父でありました。
ちょうど一年前末期癌が分かり入退院を繰り返し、
6月始めに在宅医療での緩和ケアに切り替えて1ヶ月と2週間でした。
その間一度救急搬送されましたが、きちんと帰宅し
どんなにモルヒネを強くしても意識が混濁することなく最後まで父でありました。
私が最後に会ったのは7月16日。
「『地図をもたないワタシ』20日オープンに向けて頑張ってくるね!
「『地図をもたないワタシ』20日オープンに向けて頑張ってくるね!
オープンしたらまた来るからね!
でもでも、いつも言うけど
これが最後かもしれないから何度でも言うね、お父さんありがとう!」
これが最後かもしれないから何度でも言うね、お父さんありがとう!」
三途の川を渡るために必要な
「六文銭」と、父が生まれる前に亡くなった父の父
私の祖父でもある文三さんと再会を楽しむための
「手書きの一千万円」をもたせ
2ヶ月近く、食べることも飲むこともできなかったので、
右手に大福とお握り、左手に酒、
エプロンや帽子と果物ゴロゴロ、
祖母からの贈り物を胸に
家族写真(どれもこれも酔っぱらい写真ばかり)と沢山の花に囲まれ納棺。
「六文銭」と、父が生まれる前に亡くなった父の父
私の祖父でもある文三さんと再会を楽しむための
「手書きの一千万円」をもたせ
2ヶ月近く、食べることも飲むこともできなかったので、
右手に大福とお握り、左手に酒、
エプロンや帽子と果物ゴロゴロ、
祖母からの贈り物を胸に
家族写真(どれもこれも酔っぱらい写真ばかり)と沢山の花に囲まれ納棺。
祭壇には笑顔の遺影のとなりに、
落書きだらけの写真と、
ビール片手にバスローブで寛ぐ父の写真、ふざけすぎか…と
思いましたが辛い時こそユーモアを。
落書きだらけの写真と、
ビール片手にバスローブで寛ぐ父の写真、ふざけすぎか…と
思いましたが辛い時こそユーモアを。
こんな型破りな倉嶋家を受け入れ
粛々と葬儀を執り行ってくれたお坊さんにも感謝です。
粛々と葬儀を執り行ってくれたお坊さんにも感謝です。
今後少しずつ整理していきたいと思います。
ひとまず、生前父がお世話になった方々へ、
そして新潟との二重生活を応援してくれた皆様へ、
父と関わってくれたすべての皆様へ感謝を込めて。
ひとまず、生前父がお世話になった方々へ、
そして新潟との二重生活を応援してくれた皆様へ、
父と関わってくれたすべての皆様へ感謝を込めて。