ディズニーの世界、それは聞こえないことを痛感する世界

夢と魔法の王国、ディズニーリゾート。
そこでは日常生活から離れ、大人も子どもも誰もがめいっぱいはしゃげるステージだ。


私もシーズンごとに必ず、ディズニーランドやディズニーシーを訪れている。
それだけでなく、家から近いこともあり仕事で煮詰まったときやどうしようもないとき、衝動的に逃げ込むこともある。意識を日常からトリップさせるだけで気持ちはスカッとするものだ。


けれども、そんなディズニーランドやディズニーシーは、時としてとても切なくなる。
それは多分、自分が聞こえない世界にいることを痛感するからだろう。


かつて聞こえていたとき、一度だけディズニーランドを訪れたことがある。
小学校三年生だった私は、「It'a small world」に入って「小さな世界」の歌声を聴いたときに


「夢の世界って本当にあったんだ!」


そう思った。


数年後、失聴しておとずれたときのディズニーランドの違和感は、悲しいくらい大きなものだった。
ファンタジックな音楽や歌はあとかたもなく、動物達の鳴き声や亡霊たちの叫び声でさえ、いったいどこに行ってしまったのだろう。
それは夢の世界でもなんでもなく、まぎれもない現実の世界だったのだ。


聞こえなくなった自分、という現実。


あれから十数年。
聞こえない世界が普通となり、聞こえていたとき以上に楽しく、オモシロイ生活をしている。


先日ディズニーシーに行った。
スリル満点のライド系のアトラクションも大好きだが、私が一番好きなのは
アメリカンウォーターフロントにある「ビッグバンドビート」
ビッグバンドジャズの迫力あふれる演奏をバックに、本場のミュージシャンやタップダンサーたちが繰り広げるスタイリッシュなレビューショーだ。

生演奏だからこそ伝わる響きがある。

ジャズってどんな音楽だったっけ。

聞こえていたときに聞いたジャズの記憶を一生懸命手繰り寄せて、イメージする。


歌っている黒人女性のリズムを感じながら、無性に「聞こえたくなる」のだ。
ないものねだりだと分かっていても、
目の前のライブの響きしか感じられない私は、もどかしくなる。


それくらい、音楽って、私をひきつけてやまないものなのだろう。


ディズニーの世界、それは私にとって夢と現実が背中合わせの世界でもある。
それでもまたすぐに行きたくなる。
これがディズニーマジックなのだろう。