慶應義塾大学、当事者の語りから学ぶユニバーサルデザイン


毎年講義をさせていただいている慶應義塾大学
「BF/UD入門―当事者の語りから学ぶユニバーサルデザイン
今年もやってきました。


おしゃべりもせず、真剣に、時に笑いながら聞いてくれる学生たちのまなざしに、こちらも負けじと楽しみました。
帰宅すると、早速学生のレポートが届いていました。
私は、感想や自分の思いというのは、「自分の言葉」で言語化する力が重要だと思っています。
印象に残ったものを6つ。



「一番心に響いたのは「聞こえない人だけが努力をするのではなく、
聞こえる人もコミュニケーション方法を理解をすることが大切」という言葉です。
手話通訳者も、聞こえない人のためだけにいるのではなく、
聞こえない先生と話したい私たちのためにも必要であると改めて気付きました。」


「講義を聞いてまず感じたのは、自分の強みを理解することが
社会に出たときに大事であるということです。
松森さんの「自分の強みは聞こえないこと」と潔く言い切る姿から
自分にとってマイナスなことであっても、強みに変え、
それを活かす道があることを知りました。」


「私はこれまで障害のある女性がどのように子育てをしているのか、
一人の女性としてとても興味がありました。
今日の話しを聞き、親と子のコミュニケーションしたいという気持ちは、
聞こえる、話せるというポテンシャルのスキルを超えると認識しました。」


「CMに字幕がつかないことについて、
CMは商品の売り上げに関わっていくのは明白なのに、
CM制作者側の基準(健常者の基準)でしか物事を見れていないんだと驚きました。
みんなが生活しやすい社会を目指すために“障害がある人の視点”に
耳をかたむける必要がある。」


「私たち慶應生は、英語や外国語を学んでいますが、
それだけで満足してはいけないことを知るべきだと思います。
外国人と話せること以前に、
声だけでコミュニケーションができない人とも心が通じ合うための努力が必要です。」


「自らの障害を打ち明けられないことが多くの障害者にとって共通の悩みであると感じた。
聴覚障害者は周りに合わせて聞こえるふりをし、
弱視の人は周りに合わせて見えるふりをする。
自分らしさが失われ、生きている意味を失ったという松森さんの言葉が、
その苦悩を端的に表していると思う。
障害を打ち明けられないのは、その人自身ではなく、
打ちあけることを許さない、障害を打ちあけた場合異質なものとして扱う社会に問題がある。
健常者と障害者が共存できる社会をつくるには、障害に対する意識を改善させる必要がある。」



こうしたレポートを読むことは、自分自身の振り返りにもつながります。
自分の言葉が、どんな風に伝わったのかが分かるからです。
そんな帰り道、電車のダイヤが乱れに乱れ
時間がずれた電車に三回も乗り間違えて帰宅。
後で知ったのは、近くの電車内で男性が刃物を出して緊急停止となっていたとか。
そういえば、今日の講義の最後で「不審者の声や音が聞こえず危険なことは?」という質問が。
けが人がいなかったようで良かったのですが、シャレにならないよねホント。
夕焼けが真っ赤でした。