真っ暗だけど自由に歩き回れる空間、ダイアログ・イン・ザ・ダーク

やっぱりわたしは暗闇が好きなんだなぁとしみじみと感じたダイアログ・イン・ザ・ダーク


目を開けても真っ暗。
目を閉じても真っ暗。
真っ暗を通り越した暗闇の空間。
盲ろうとなった福島智先生が
「宇宙空間に放り出されたような」と表現していたのを思い出します。


目を開けていると、見ようとして逆に疲れてしまうので、ほぼ目を閉じていました。
通常はひとりの見えないアテンドが複数名いるグループをガイドしますが
聴覚障害のゲストには更に専属のアテンドがつき、手のひらに書いてコミュニケーションをします。
私のアテンドは愉快な「ムラっち」。
ムラっちに手をひかれ、会話が必要なときは立ち止まり、手のひらに。
彼も私と同様に見えていた経験があるので、文字を書くことができます。
見えない状態で触覚だけを頼りに筆談するって、
想像以上に難しいものでした。
普段、いかに視覚的な言語に頼っているかを痛感します。
全神経が手のひらに集中!です。
手のひらからパワー放射できそうなくらい。


シンプルな言葉で書いてもらう一文字一文字がとても大事でした。
聞こえる人は、グループのメンバー同士声を出しあい、位置確認や意思疏通をはかっていたのでしょうが、
私にとってはムラっちの手だけが頼りでした。
最初はその情報量の少なさや、情報が入らない時間の長さにもどかしさを感じていました。


そんなとき、私はふっと意識を変えました。
『私の側には常にムラっちがいるし、
 必要なときは手をとってくれる。
 だから、大丈夫!』と。
そうして私は、ムラっちの手をはなしました。
最初は座っているときでさえ、ムラっちの手を握っていた私です。
手を放した私はとても自由でした。
あちこちに手足を伸ばし、空間をたしかめ、色んなものを触りまくりました。
空気の温度や風の流れでひとの気配を感じていました。


普段の生活の中で
「目の前にいる人々が話をしているのに分からない」経験が日常的にあります。
それらは「見える」から、何を話しているんだろう?と気になります。
でも暗闇の中では、それらが気になりません。
同じグループの人が沢山いて
会話をしているはずなのに、見えないから気にならない。
必要なときは伝えてくれるし、何かあった時はムラっちがそばにいる!という安心感、信頼感が、私を自由に導いたのでしょう。


最後には走り回りたい気分になりました。(これは危険行為として禁止されているので堪えましたが!)
暗闇ハイテンションです。


体験後、志村真介さんと季世恵さんに話すと
「人を意識せず関わることを一度止め、自由になること。
 それは人にとってとても大切なことなのだと思います。
 そして対話の始まりにも必要なことなのだとも思うのです。」
というのです。


私はこのコメントを何度も読み返しました。
そして少し安堵しました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークというと、どうしても「対話をしなければ」と思っていたのです。たとえ私が聞こえなくても。


でも
「人を意識せず関わることを一度止め自由になること」は
対話を放棄することでも無視することでもありません。
ほかならぬ、アテンドとの信頼感が築けていた証なのだと思います。


そこには、一緒に体験した宮城教育大学の松崎丈先生の言葉で言えば
「そのひとの尊厳を侵さず、
かつ見通しをもって安心して前へ踏み出すことを“輔(たす)ける人による”ことば"」
が確立されていたからなのでしょうか。


だから私は一時的にでも、これまで経験したことのない自由さを感じることができたのです。


でも、そもそも考えてみたら、
「真っ暗でなにも見えないけど、自由に歩き回っていいよ!」って、
すごい空間ではないですか!
ブランコあり、テントあり、粘土遊びあり、しかも季節によって変化するプログラム!
これぞエンタメといえるのではないでしょうか!!


ダイアログ イン ザ ダーク http://www.dialoginthedark.com/