酒田市講演

karinmatasumori2008-07-22

山形県酒田市で講演を!


もう、一年以上も前からそんなお話があった。
酒田市立第一中学校では、昭和38年卒業生の同窓会、その名も「3・8会」(サンパチ会)というのがある。
この3・8会は、数年に一度、出身中学校に講演会を贈っているのだという。
昭和38年卒だから、みなさん60歳くらいだがパワフルで頼もしく、講演会のプレゼントなんて粋な企画だと思った。こんな形で地元に貢献されているなんて素敵。


朝の四時起きで、庄内空港へ。初めての山形に私は大興奮していた。だって、山形といったらさくらんぼ。私の大好物の名産地。他にも美味しいものが沢山ありそう。
ひとまず山形ラーメンで腹ごしらえをし、中学校に向かった。

講演を仕事としている以上、事前準備から本番まで真剣勝負。今回は、第一中学校の生徒だけでなく、山形県立酒田聾学校の生徒や保護者たちも参加される。手話の分からない聞こえない生徒がいることを想定し、講演で使うパワーポイントは、要約筆記風に話しの内容を文字で表示できるように作成した。
講演は、手話と、音声と、文字表示と、それぞれにあった方法で聞くことができる。

中学生というと、ちょうど私が聴力を失いつつあった時期でもある。
だからこそ、この年代向けの講演ではできるだけ当時のことを素直に話すようにしている。
恋愛も友情も部活も勉強も、色々なことを思い切り楽しみたい時期に、少しずつ聞こえなくなっていくとはどういうことなのか。生きる意味が分からずに死のうと思ったこともあった。
中高生を対象とした講演は何度も経験していても、時々涙ぐんでしまう。
自分の過去を話すということは、自分の過去と向き合うことでもある。その過去が辛ければ辛いほど、向き合うこともしんどい。
よく、時間とともに解決するというが、時を経てもなお鮮烈に、傷口が傷むような過去、というのもあるのだと感じる。
中高生というのは、ごまかしがきかない年代だと、私は思う。
大人だからとか、子どもだからとか、そういうのではなく一人の人間として向き合うことで大事なことを伝えられるような気がする。もちろん、私の話は重い話ばかりではなく、聴覚障害を受容後の「なるようになるさ♪」的生活のエピソードやらディズニーランドのバリアフリーやら、ネタは盛り沢山だ。


宿につき、一風呂浴びてから懇親会。
学校の先生方だけでなく、3・8会のメンバーが勢ぞろいでお迎えしてくださりひたすら恐縮。
地酒がこの上なく美味で、天然の岩ガキも旬の美味しさ最高でした。
二次会、三次会と続くと、さすがの私もどんな会話をしていたのか良く覚えていないが、田舎のおもてなしというのは終電を気にする必要がないから楽しく騒いで真夜中まで続くものだ。田舎育ちの私は慣れている♪


翌朝、朝からのんびりと温泉を楽しみ、写真家土門拳の記念館に案内していただいたり、鶴岡市の海岸までドライブをしたりしたあと、飛行機で帰路へ。


講演の質疑応答で、「講演会の仕事をして一番良いことってなんですか?」というのがあった。
それはもちろん、いろんな場所でいろんな人に出会うことができるから。出会った人に何かを感じて励みにしてもらったり、元気を出してもらったり、頑張ろうって思ってもらえたりすることが何よりも嬉しい。
たったの二日間で沢山の人と深いお付き合いができた酒田市講演であった。企画してくださった3・8会の皆様に、感謝するのみ。
忘れられないのは、中学校の校舎の廊下を歩いていると、生徒たちがみな「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてくれたこと。講演前に爽やかな気持ちになれたし、「3・8会」という大先輩の良いところが、世代を超えてしっかりと受け継がれていることに感動した。
お土産にいただいたさくらんぼ一箱は、ほとんど私一人であっという間に食べてしまった。