日本記者クラブ賞受賞講演で

久しぶりに良質な、というと語弊があるかもしれないが
「言葉の力」そのものを実感できる講演だった。

2012年度日本記者クラブ賞・同特別賞受賞記念講演会
「『3.11大震災』あの時、そして今」

日本記者クラブ賞に、毎日新聞記者の萩尾信也さん。
震災直後から被災地に住み込み、時には枕を並べ、時間をかけてじっくり話を聞く長期現場取材で被災者の言葉を紡ぎだした記事は「三陸物語」というタイトルで出版されている。

特別賞として、世界で唯一、福島第一原発一号機の水素爆発の瞬間映像をとらえた「福島中央テレビ報道制作局」と
震災の停電と津波で社屋が被災し、手書きの壁新聞を作り続けた「石巻日日新聞」が受賞した。


萩尾さんの講演では、
大きな衝撃をもたらした出来事を、薄皮をはぐように「その時どんな音がしたのか」「どんな匂いがしたのか」「どんな光景を目にしたのか」ひとつひとつを、相手の心の中に手を突っ込むように尋ね続けた日々のこと。
愛する人を失って、故郷を失って、それでもなお「生きる意味とはなんなのか」と。
計り知れない苦痛を伴いながら、様々な問いと対峙する日々。
あの日に見上げた星空の美しさ。
闇は深ければ深いほど、星は輝きを増す。


悲しみは時間が解決するものではなく、心の底にとどまり、たゆたいつづける。



一つ一つの言葉をかみしめながら、探りながら、絞り出すような言葉に耳を澄ました。
手話通訳も、これ以上ないくらい萩尾さんの言葉を表現していて惹きこまれた。


特別賞を受賞された福島中央テレビの佐藤崇氏の話も、石巻日日新聞社の武内宏之氏の話も、
昨年までは、起きた事実を伝えればよかった。
しかし今は、毎日毎日が同じ。
それをどう伝えるのか。どうすれば風化させずに済むのか。
そんな問いかけが胸に響く。


「あの日」について語ると、メディアという客観的な立場に関わっていても
「一被災者の心の状態に戻ってしまう」という。



講演は予定を30分延長して終了した。
「言葉」を生業とし、「実体験」を伴う方々の講演は、強く響く。
うわべだけの言葉や、吹けば飛ぶような言葉が多い中、
「言葉で伝える」ことの意義を改めて考えさせられる講演だった。



追記
萩尾さんは、かつて、聴覚障害者を中心とした連載企画をしていたことがある。
聞こえる人が圧倒的に多い「聴者社会」で聞こえない人はどんな思いを紡いでいるのか。
聞こえない世界を知りたいと、様々な聞こえない人を訪ね歩いてたという。
それはのちに、毎日新聞「ともに歩く:手話の探訪記」という連載にまとめられた。
その取材で出会ったのが、2010年の夏。
取材中の一問一答の中で、無意識に包み仕舞い込んでいた感情が、
出てくることに自分でも驚いたのを覚えている。
そうやって、改めて過去と対峙できた貴重な機会でもあった。

当時の連載記事は削除されているが全文紹介しているブログがあった。
<ありんこブログより>ともに歩く 手話の探訪記
http://arinko138.jp/public/index.php?itemid=1270