言葉の海を漂流

言葉の波のなかに身をおき
言葉の渦の中で目を凝らし
言葉の海を漂流する時間が何よりもいい。
新聞を広げているときなんてもう至福の時間。
ありとあらゆる言葉が浮かんだり沈んだり
それらを目で追ったり、読んだり、すくい上げたり、眺めたり、咀嚼したり。


あるとき、床全体をひろげた新聞で覆うことを思いついた
新聞の海に飛び込むように横たわると
どこにいても言葉が目に入ってくる
すわっていても、寝ころがっていても、それはもう身も心もいろんな言葉に
存分にまみれることができ非常に満ち足りた幸福感に。
次第に手も足も顔も真っ黒になるので片付けましたが。


ここまで「言葉」に魅了されるようになったのはおそらく中学時代。
入学祝いにと父が買ってくれた「赤毛のアン」シリーズ。
主人公アンが、自分の中に渦巻く思いを
「うれしい」「悲しい」といった単純な言葉ではなく
イマジネーション溢れる豊かな言葉で表現する世界観の虜に。


それ以来、聞こえないことで悩むとき、辛いとき
悲しかったとき、うれしかったとき、
その時々の自分の心をのぞき込み
「今のこの感情は言葉にするとどんな表現になるのだろうか」
とことん考え、ひたすら書きとめて
いつしか、これが習慣に。


「自分の心をのぞきこむ」
それは自分自身をちょっとはなれた所から見つめ
自分の気持ちと徹底的に向き合う作業。
そうやって私は
「少しずつ聴力を失うことによる自分自身の変化」を観察し続けて
自分の中から言葉を生み出す作業を繰り返すように。


ときには言葉にしがたい出来事や
どんな言葉でも表現しつくせない思いもあり。
暗くて深い湖に何時間ももぐり
思いのかけらや言葉の断片をすくっては集め、すくっては集め
寄せて、つなぎあわせ、言葉にしていく
その言葉が消えてしまわないうちに。


生きるということはきっとこうやって常に言葉を紡ぐ営み。
自分の身体を通した体験と偽りのない自分の言葉こそが
自分を見つめる指標になる。


今日も泉のように溢れる言葉に身を横たえて。
新聞をひろげつつ、幸せの海をただようひととき。