コロナ禍の面会制限「ケイコとイサムの交換日記」

「コロナ禍の面会制限は生きる気力も奪う」
今年の夏から入退院を繰り返した父の言葉。
9月に三週間近くの入院を余儀なくされた父、
スマホをもたないので
毎朝8時に病院の公衆電話から母に電話がかかってくる。
これが唯一の連絡方法だったけれど
声が出にくくなり、聞き取れないこともあるとか。
コロナ禍で面会は禁止され
家族は入院時に医師から説明を受けていても
本人と会えないので、父の状態を完全に把握することができない。
面会はできないけれど、着替えやタオルなどの交換のため
病棟まで行って看護師さんに預け、使用済み洗濯物をもってきてもらうことはできるので
そのときに看護師さんに父の様子をさりげなく聞いたりする。
それでも、
もっとつながる方法はないものかとずっと考えていた私。
長い入院期間、誰とも会えずに自分の病気と向き合う日々では
絶対気持ちが弱ってしまう。
母とそんな話をしながら
「幼稚園や学校の連絡帳みたいなのがあればいいのにね」
「その日の給食とか生活の様子とか先生細かく書いてくれてたよね」と。
そうか、それだ、連絡帳!
 
翌日スケッチブックやマジックを購入し表紙に
「ケーコとイサムの交換日記」と書く。
こちらからのメッセージを書いて
着替えやタオルと一緒に渡す看護師さん経由の交換日記。
翌日も着替えを届けに行くと、
その場で看護師さんが父の部屋に行き洗濯物をもってきてくれた。
その袋の中に交換日記が。
どきどきしながら、母と息子と一緒に開いてみると
「逢えなくなって初めて知った恵子への想いが正直に云えそうです。」と
溢れる想いが壮大なラブレターとなって綴られていました。
文章を書くのが苦手な母ケーコはそっけないシンプルな返しなのですが。
そんな交換日記を重ねること三週間。
日々の体調が、臨場感あふれる父の言葉で言語化されていてさすが。
「ワオー!スゲーゾ両手の爪の間に針刺されたみたいな
 ビリビリズキズキキンキン感
 ウルトラマンスペシューム光線浴びたようだー
 お腹から足の付け根が真っ赤だ熱もあるぞ!!
 焼豚だー痛いかゆい、三日も続いてるよーヒエーッ」

「今のじいは、北海道の地獄谷温泉の赤鬼じじいみたいなのだ、
 パワーアップしているぞーアッチッチ―」
とイラストが描かれていたり

敬老の日には
「さわ山の大福をお袋にもっていってくれ」という伝言だったり
そうかと思えば

「家族の力ってすごいね。こんなに子どもや孫に勇気づけられたの、
 何ていえばいいんだろうねー
 目からおつゆがポロポロ大河一滴じゃー
 この力ってすげーなー!
 こんなパワーある家族って他にあるか~?みたこともねーゾ世界最強のファミリーだ
 みんなが居てくれて良かった。
 感謝の何ものでもないわ。
 恵子、いい子供がいてくれて幸せだなー
 と云う事は、今迄ズート何十年間も幸せだったんだな」
とそれこそ大河一滴なメッセージが書かれていたり

タイトルはケイコとイサムの交換日記ですが
妹や弟や孫たちも書き込む家族全員の交換日記に。
退院後、この日記に救われたと言ってくれたのでやってみて本当に良かったと安堵した私。

コロナ禍だから面会禁止なのは仕方ない。
でも、仕方ないでは済ませられない感情が、
患者にもその家族にもあります。
仕方ないであきらめるのではなく、だからこそできる方法があるはずだと考えたいな。

医療とは健康と生存期間延長を目指すものでもありますが
それだけではなく
病気などがあっても精神的に満たされ、
生きる気力を養うことができる状態を目指すことも大切なのでは
と、思うのです。

そしてこの交換日記の中で、繰り広げられたのが
最強ファミリーによる某作戦……!
           〈つづく〉

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