祈り

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5月の半ば弟から連絡があった。
新潟にいる父から「今後のことを話したいから」と呼ばれたという。
心臓病や糖尿病など抱えつつも居酒屋舟宿を母と切り盛りしているが
このところどうも調子がよくないらしい。

私にとって父とは、
人生の思春期、突然に聴覚を失うという絶望的状況の中で
不条理に対する怒りと憎悪に満ちてどうしようもなかった私自身や
そんな自分の存在をなくしてしまおうとした私自身に
寄り添い、手を差し伸べてくれた存在だ。
そんな父がこの世からいなくなってしまう、考えたくもないことだが
そうした現実はかならず訪れる。
父が弟を直接呼び出すなんて、よほどの状態なのだろうと
弟や妹や母とLINEで話しあい、密にならないよう
それぞれ日程をずらして、個別に新潟に行くことにした。

父と母と会うのは三月初めに旅行をして以来。
お酒を一滴も呑まない父を見るのは不思議だった。
物心ついたころから何度か聞いた父の人生は波乱万丈で、
それこそ「事実は小説より奇なり」だ。
もし私だったら到底生きてはいられない程の深い悲しみを、
子どもの頃から体験してきた父だからこそ
私の悲しみも怒りも憎悪も受け止め、分かち合ってくれたのだと思う。

そんな父が自分のお店「舟宿」を構えて30年以上になる。
群馬の実家近くのお店は弟に託し、
新潟にもお店を構えて母と二人移住して10年ちょっとか。
「舟宿」というお店は父にとっては
長年求め続けてきた「確かなもの」なのだという。
受け止めがたい事実に直面し、悲しみや絶望といった言葉しか
見当たらない深い湖の底で、それでもその人生を生き抜いてきた
父にとっての「確かなかたち」の一つなのだろう。
だからそこにくるお客様たちは
本当にいろんな人がいるけれど
「みんな自分の子どものようでみんな可愛い」
「生きがいというよりは純粋に楽しくて面白い」
「無心にやって終わるとホッとして、お客さんは笑顔で帰ってくれる」
とそんな話をする父の顔はとても穏やかだ。
だから、身体が動くうちはお店をやりたいのだろうし
一方で思うように動かない身体との葛藤も大きいんだろうな。

私が中学生の時の日記帳には
「お父さんとお母さんにたくさん大変な思いをさせている。
早く大人になっていろんな所に旅行に連れていってあげたい」ということをよく書いていた。
ここ数年「親が元気なうちに!」にと、
毎年国内や海外で珍道中を繰り広げていたが
元気になってもらって、またどこかへ行きたいな。

他愛のない話をし、
フキの皮をむいたり、
佐渡の海老の殻をむきながら踊り食いしたり、
父の代わりに母ケーコと仕入れの買い物に行き
帰りにスタバを見つけ
「母ケーコスタバでドライブスルー初体験」。
スターバックスラテのトール」を何度も噛んで注文し
「お金はここに入れるの?」とスピーカーの丸いところに手を入れる母ケーコ。
やっと手にしたコーヒー片手に
「初めてのお買い物みたい♪」と満面の笑顔。
帰宅して父に「初めてのお買い物」体験を嬉しそうに話す母。
そんな何気ない小さな日常の小さな幸せを、
大事に胸におさめて
父と母を抱きしめて、新潟をあとに。
私のあとには、妹たちが、孫たちが。
きょうだい4人、孫7人。

「お前たちみんないい子に育ってくれて満足だ」と
まるで最後の言葉のようなセリフを放った父ですが、まだ生きています。笑
照れ屋で普段は物静かな父が
母の還暦のお祝いの席で
「生まれ変わってもケーコと結婚してまたお前たちを産んで育てる」と
それまで飲んでいた酒を全部涙に変えた伝説のセリフも。

今は体調の良い日だけ短時間営業をしているようです。
私はあと何回、親の顔を見ることができるんだろうか。
時間のある時は、何度でも新潟に行こうと思います。
元気でさえいてくれればと、毎日祈りつつ。