向き合う「音読」

息子の学校の宿題で、毎日必ず「音読」がある。
国語の教科書を音読し、
・大きな声で
・正しくはっきりと
・「 」は言っているように
と、この三項目を◎・○・△でチェックするのだ。
今週から始まったのは
「かさこじぞう」

なつかしい!!私が小学生の頃にも同じものがあった。
この文体のリズムが好きで、長い話にも関わらずすべて暗記して寝る前に父に聞かせていたことを思い出した。
20年以上も経った今、すっかり忘れてしまったが、お地蔵さんが米やもちをそりに乗せて運んでくるシーンの

「じょいやさー じょいやさ」

という掛け声などは今でも頭に入っている。
私が小さな頃は、毎晩寝る前に「日本昔話」シリーズのカセットテープを聞きながら寝ていた。
昔話の内容はもちろん、昔話独特の言い回しや表現なども繰り返し聞く中で本の読み方を覚えていった。

息子が教科書を広げ、音読を始めるが
「ああ、そのへんまでお正月さんがござらっしゃるというに、もちこのよういもできんのう。」
「ほんにのう。」
「なんぞ、売るもんでもあればええがのう。」
「おお、お気のどくにな。さぞつめたかろうのう。」
と、慣れない言い回しのオンパレードに、眉間にしわを寄せつつ読んでいるので私も一緒に音読をすることにした。
一緒に読むことで、彼も少しずつリズムがつかめてきたようだ。
いまでは、じいさまとばあさまのセリフを分担して楽しむ。

ソラ「ばあさま、ばあさま、今かえった。」
私「おお、おお、じいさまかい。さぞつめたかったろうの。かさこは売れたのかね。」
ソラ「それがさっぱり売れんでのう。」

何をやってんだか、気分はすっかり老夫婦の母息子。
でも、イヤな宿題もこんなふうに楽しまねば!

ちなみに、「音読の宿題」。これは、小学校一年生のときから毎日続いている。
一年生になって初めてこの宿題が出された日のことは今でも覚えている。

国語の教科書を持って、なにやらもじもじとした様子のソラ。
聞けば、音読の宿題があるという。
「よし、聞いてやるからやってごらん!」私は普通に言った。
するとソラは、
「あかいえ おあいえ あいうえお。かきのき かくから かきくけこ…」
と音読を手話(指文字)で始めたのだ。

とりあえず最後まで聞いた後、私はたくさん褒めた。
きっと彼なりに、「聞こえないお母さんに音読の宿題をどうするか?」一生懸命考えたのだろう。
その気持ちがとても嬉しかった。

でもね。
「大きな声ではっきりと読めば、口の形でどこを読んでいるか分かるし、大きな声が出ているかどうかは顔の表情や息遣いを見て分かるんだよ。」
だから、音読は普通に読んでいいんだよ、と私は説明をした。

以来、毎日繰り返される音読はしっかりと向き合わねばならない時間となった。
さらに、教科書と口の形を交互に見て目で追うのは大変なので、教科書の内容をいちはやく覚えなくてはならない。
事前に文章が頭の中に入っていれば、子どもの口の形を見ただけでどこを読んでいるか理解しやすくなるからだ。

毎日向き合っての音読は、正直面倒だと感じることもある。
聞こえるお母さんだったら、ご飯の用意をしながら聞いたり、洗濯物をたたみながら聞いたりすることができるんだろうな。と思うこともある。聞こえないと「〜〜しながら○○をする」ということが難しいからだ。
でも、音読の時間なんて、長い人生の中のほんの数分間。
元気がない音読、張りのある音読、早く終わらせたいときの音読、楽しく読んでいる音読。
日々向き合うことで分かってくる子どもの体調や状態。
もしかしたら、とっても貴重で贅沢な時間を過ごせているのかもしれない。