意義

9月から始まった、某女子短期大学での後期授業が終わった。


全部で15回の授業では、聞こえないことについてをまず知ってもらう。
障害の種類から、普段の生活やコミュニケーションの多様性、あらゆる場面での聞こえない人への対応方法や工夫など、自分の経験を元に学生達に伝えていく。
授業の半分を「手話演習」とし、日常会話程度の手話を学びながらコミュニケーションの難しさ、楽しさを実感し、バリアフリーコミュニケーションを実践できるようにするのが目的だ。


若い学生達は、手の動きがとても柔軟で手話の習得も驚くほど早い。


毎回の授業には手話通訳さんがいるが、聞こえない私と直接手話で会話ができるようになっていくのはとても嬉しいものがある。


最後のレポートでは、嬉しい感想が沢山あった。


「障害のある人たちは、自分とはまったく違う人だとずっと思っていた。けれども、障害のあるなしで分けるなんて、とてもくだらない考え方だと分かった。みんなが楽しく一緒に生活するために、自分にできること”手話”をこれからも続けたい。」


「趣味や特技がない自分の中で、手話が大きな存在となりました。」


「今までは何故この学校に入ってしまったんだろうと後悔していた。でも先生の授業を受けてすごく変わった。どんな状況でも楽しむという前向きな考えを、今後実践していけそうです。」


「聞こえない松森先生だったからこそ、学べることが沢山あった。ありがとうございました。」



十数年前、聴力を失ったばかりの大学生だった私は、自分が突然聞こえなくなった理由も原因もわからずにいた。迷っているとき、悩んでいるとき、どん底にいたとき、支えてくれた人が沢山いた。
今、奇しくも大学で教える立場となり、様々な人を対象の講演などをするなかで、自分も少しでもそんな存在になれていたらいいなと思いながらやっていきたい。



聞こえない自分にしかできないこと
自分だからできること
これらを自分の言葉で伝えていくこと。
それによって、ほんの少しでも誰かの心が温まるといい。


自分が聞こえなくなった意義はきっとこんなところにある。