私は耳鳴りをコントロールする

私は耳鳴りをコントロールできる。


時にはクラシック音楽、時にはジャズだったり、ロックだったり、ほのぼのとした童謡であったり、バラエティ豊かな耳鳴りは、まるで耳の中でオーケストラが在中しているかのよう。
聴力を失ってから、唯一の音楽。
それが耳鳴り。


耳鳴りとの付き合いは長い。
高校生のころから始まり、それはたとえようのない騒音だった。
俗に言う「キーン」とか「ジージー」とか、そんな単純な音だけではなく、さまざまな楽器が不協和音を奏でていたり、聞いたこともないような不快な機械音だったり、人の叫び声のようだったり、単調なリズムから頭が狂ったのではないかと思うくらいの大音響。
まるで地獄耳。
当時は、手にしている鉛筆を耳の中に突っ込みたい衝動に駆られるくらい本当にひどかった。


高校三年になり、大学進学を決め、デザインの受験勉強に励む中でも耳鳴りはやまない。集中力が落ち、気が狂わんばかりだった私がとった手段は、
「耳鳴りと徹底的に向き合う」ということ。
その時聞こえている耳鳴りにじっくりと耳を傾け、それを絵にしていく。
毎日のように何枚も何枚も書いた。
スケッチブックは、ひどい色彩や殴り書き、わけのわからない記号や抽象的な絵で埋め尽くされた。
ピカソムンクも真っ青だ。


耳鳴りと向き合い、客観的に見ていく中で、少しずつ失われていく聴力と引き換えに、耳鳴りがコントロールできるようになっていった。
その時の耳鳴りに近い音と、記憶の中にある音楽や歌を重ねていく。
そうすると、かつて聞いたことのある音楽や歌に変わっていく。
昔聞いていたアイドルの歌も多い。


あわただしい日常生活の中、時間に追われていると、耳鳴り音楽もずっとアップテンポだったりする。
けれども、先日キャンプに行き、自然の中で三日間穏やかに過ごしていたときは、耳鳴りもずっと穏やかなクラシック音楽風。
環境や生活によって、左右されるものなんだなと実感。


ほとんど聞こえなくなっても、耳鳴りだけは聞こえるってなんだか不思議。
他の人もこんなふうにコントロールして楽しんだりするのだろうか。
でも、コントロールが利かなくなる時が一つだけある。
スピーカーが壊れたかのようにガンガンと大音響が鳴り響き、かなり迷惑をこうむるのだが、それは、酔っ払ってしまった時。
飲みすぎ注意報ってこと?!