ご褒美アクセは補聴器に

この時期になると女性誌は「ご褒美アクセ」とか、一年間頑張った自分へのご褒美提案でいっぱいだ。
パラパラっとめくりながら、そうか、自分へのご褒美……!などと頭をよぎる。
あれこれ悩み、
そして、
思い切って購入したのは……。


補聴器!


昨年から壊れたまま、使用していなかった補聴器。
購入したのは10年近く前なので、新調するには良いタイミング。
補聴器は、福祉の助成制度の対象にはなっているが地域で定められた上限金額を超えると対象とならない。
最近の補聴器はデジタルが主流で、良いものをと思ったら当然上限を超えてしまう。
そうして、私のご褒美アクセは補聴器に化けた。
高価なものを頭に装着しているのだから、ちょっとは頭がよくなればいいのに。


視聴してなるほど。
以前ブログでも紹介した、手話のできる補聴器屋さんで何度か再調整をしてもらったが、10年前の補聴器よりもずっと、音の幅が広く音が入ってきやすい。
とはいえ、私の聴力は両耳とも100デシベル以上の高度感音性難聴。
だから、補聴器をつけたからと言って人の声や物音がクリアに聞こえるわけではない。


聞こえてくるのは人の声か、物音か、動物の鳴き声か、そうした輪郭すらつかめないつかないただの音。
じゃあなぜ補聴器をつけるのか。
それは、自分の周りに音があるということが感じられるだけで空間が立体的に感じられるからだ。
音がない世界が平面だというわけではない。
ほんのちょこっと、生活の中での手がかりになるというだけ。
たとえば、先日補聴器を忘れて自転車に乗っていた。
横断歩道の信号が青になったため、渡りはじめたのだが、向こうにいる人たちは歩き始めない。
信号青なのになんで??
そう思った瞬間、角から来た救急車と接触しそうになった。
救急車の運転手さんもたまげたことだろう。
補聴器をつけていれば、さすがに身に迫るサイレンの音くらいは感じ取れたのではないか。

家の中に一人でいても、時々音を感じる。
そのたびに何の音なのかきょろきょろと見回すのだが、何しろ私一人だ。
ということは、外から入ってくる音なのだろうか。音のある世界は謎に満ちている。


こんなふうにして、音を感じることはできるが大抵の場合何の音かわからない。
慣れるまでは、息子が突如歌いだしたり、くしゃみをしたり、物を落としたりするたびに
「何の音?!」
「うるさいなぁ〜!」
「ちょっと静かにして!!」と過剰反応。まともに聞こえてるわけじゃないのに(笑)



そしてついに言われた。
「補聴器してなかったときのほうが静かだったよ!」
そりゃそうだ。補聴器外したら全く聞こえないもん。


「ちがうちがう!」と突っ込まれた。